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なぜ人を殺してはいけないのか?(後編)



これは後編です。必ず前編から読んでね!

 しかし、ここで、まごつくようでは、教育者としていささか心もとない気がします。 (むしろ、おお、こんな問いをぶつけてくるほど成長したんだなあ、とその成長を微笑ましく思ってあげるくらいの余裕が必要でしょう。)

 「人を殺してはいけない」ということが、神から授かった所与のものであるかのようにとらえると、答えに行き詰まると思います。 むしろ、人間が人を殺しているのにとがめられていない(とがめられなかった)いろいろな例があるのにもかかわらず、それらを無視して、「いけない」と本気で思っている大人がいるとしたら、それこそ問題ではないでしょうか。


 では、なぜ、(とりあえずかもしれないが)人を殺してはいけないということになっているのか、それを考えていくことが必要だと思います。

 まず、子供と一緒に、みんなが人殺しをする社会を考えてみるとよいのではないでしょうか。

 ここで、ホッブズに始まり、ロックやルソーたちに連なっていった系統の話(本当はこの三者に違いなどもありますが、ここでは大雑把に)を持ち出せばよいと思うのです (ホッブズ(1651), ロック(1689), ルソー(1762)などが参考になるかと思います。)。

 何の決まりもない状態(自然状態)では、人間は、それぞれの欲求にしたがって、人のものを盗み、人を殺し合う。 この状態では、他の人のものを盗んだり、殺したりしても全然いけなくないかわりに、自分自身もいつ殺されるかわからない。 でも、こんな不安な社会では毎日が恐ろしくて仕方ない。 そんな状態から逃れるためには、自分は他の人のものを盗まない、その代わりに他の人からも盗まれなくてすむ、自分は人を決して殺さない、その代わりに他人からも決して殺されないという契約を結べばいいのではないか。 こうしてルールができてきた。 そして、人を殺すのはルール違反ということにして、もし人を殺したりしたら制裁を加えるということにした。 この結果、人間は、人を殺す自由を放棄する代わりに、安心して生きていけるようになった。

 君はどう思うか? 殺すのがいけなくないかわりに、いつ殺されるかわからない不安な社会に生きたいか?
 恐らくいやだと思う。
 だとすれば、殺すをやめようと決めてみんながそれを守ろうとしているこの社会はすばらしいものだし、この社会を大事にしていくことがとても意味のあることだと思わないか?


 こうしたことを丁寧にわかりやすく話してあげれば、「いけない」とただ一方的に言うより、子供はよほど喜ぶのではないでしょうか。
 「いけない」か「いけなくないか」を、上からの決めつけでなくちゃんとじっくりと一緒になって考えてあげれば、子供からは、建前や押し付けではなく、事実にちゃんと向き合って考える、信頼できる先生、信頼できる大人だと尊敬されるに違いないと思うのです。
 建前だけを言う大人は、やっぱり見抜かれると思います。
 子供の問いに、真正面からぶつかり、真剣に子供と一緒にこの問いを考えていくことこそ重要ではないでしょうか。


 それから、「なぜ人を殺してはいけないのか」との問いに対する一つの対応の仕方として、他者への共感を育てるための、感情に訴える教育もありうるかもしれません。
 親をなくした子供、子供をなくした親、戦争で誰かを失った人のストーリーなどを子供に聞かせたり、ドキュメンタリーを見せてもいいでしょう。
 そういったこともやればいいと思います。


 でも、こうした考察を通じて、社会や国家の意味や、多くの人間が一定のルールを守ることで成り立っている社会がどんなに大切ですばらしいものなのかを学んでいくことは、とても大切なことだと思うのです。
 さらに進んで、人間が、ただ殺されないというだけではなく、人権という概念を導入して、個々を尊重する社会を作ってきたこと、自分が尊重されるためには、相手も尊重する必要があるのだ、といったことを本質的に理解していくことはとても意義深いことではないでしょうか。

 今まで、人殺しが「いけなくない」社会も歴史的にもたくさんありました。 しかし、そういう社会では、弱い人たちが守られるようなことは決してありませんでした。 そういう社会にしていいのかどうか、そして自分の国だけでなく、世界がそうであっていいのか、子供と一緒に考えることはたくさんあると思うのです。
 死刑について論じていってもいいでしょう。 いろんな立場からの意見がありうるでしょう。
 そうしたことを考える機会を与えてあげれば、子供たちは、いつまでも、「なぜ、人を殺すのはいけないのか。」というような初歩的な問いにこだわっているようなことはばかばかしく思うようになると思うのです。

 子供たちを甘く見るべきではないと思います。
 ちょっとくらい背伸びさせても、子供に考えるきっかけを与え、子供の考える力を育ててあげる、それが教育ではないでしょうか。

 さすがに、小学校低学年には、そんなことを言ってもまだ全然わからないでしょう。 でも、小学校高学年くらいになれば、なんとなくこうした論理展開についてこられる子供も出てくるのではないでしょうか。
 日本の教育には、考える力をつける教育が著しく欠けているように思います。 教育が暗記に偏っていて、筋道を立てて論理的に考える力を育てるようなシステムになっていないともよく言われます。 そうした中で、こういう問いをきっかけに、ものごとを論理的に考える力を養成していくというのはとても大切ではないでしょうか。


 こんな貴重な問いが発せられた機会をそのままにしておくのは、返す返すももったいないと思うのです。



(完)

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引用文献
  • 警察庁, 2004: 「平成15年の犯罪」.
  • 立花隆, 1991: 「サル学の現在」. 文春文庫
  • 内閣府, 2004: 「基本的法制度に関する世論調査」.
  • トマス・ホッブズ, 1651: 「リヴァイアサン」. 水田洋 訳, 岩波文庫, 1954年
  • ジャン=ジャック・ルソー, 1762: 「社会契約論」. 桑原武夫 訳, 前川貞次郎 訳, 岩波文庫, 1954年
  • ジョン・ロック, 1689: 「市民政府論」. 鵜飼信成 訳, 岩波文庫, 1968年

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