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みんな仲間?



 小学校の頃、よくクラスの先生が「みんなは仲間」とか「クラスのみんなは友達なのですから仲良くしましょう」とか言ってました。

 でも、今考えても、あれはどうしても納得いきません。 というか、これはかなり乱暴な命令かと...。

 子どもはみんなで仲良くするものだと思っている大人たちは、恐らく自分が子どもだった頃のことを忘れ、子どもたちの世界は単純で素朴な世界だと思っているのではないでしょうか。
 でも現実には、子どもたちも大人と同じくらい、とても複雑で窮屈な人間関係の真っ只中で生活していると思います。 子どもが何も考える力がないと思ったら大間違いで、学校では、小学校低学年の頃から、友達に嫌われないように、クラスのいろんな力関係をよく観察して、みんな自分の微妙な位置を保っているのです。 男の子はまだいいかもしれませんが、女の子の世界の周りへの気遣いのシビアさはたいへんなものがあるでしょう。

 大人もそうした点では変わりません。 でも大人のこうした人間関係から受ける負担は、子どもほど大きくないでしょう。 大人は、付き合う人を自分で選べるからです。 ほとんどの大人は、自分と似た環境、趣味、性格の人を選んで付き合っています。 職場ではある一定時間、全く合わない人たちと共に時間を過ごさねばなりませんが、大人にとって職場の時間の比重は心理的にもそう大きいものではない場合も多く、大人は精神的に割り切る術を知っています。

 でも、子どものことを考えてみてください。 子どもは学校で、いろんな子どもたちが押し込められた教室に朝から夕方まで居続けなければなりません。 自分と似た人がクラスにいないかもしれません。 そして、とにかく一緒に何かをさせられることを強制されます。 授業中も掃除や給食の時間も含め機会あるごとに行われる班単位での活動、体育の時間のチームプレイ、そして場合によっては昼休みまでクラス単位で遊ぶことを強いられたりもします。 育っている環境も考え方も性格が違う子どもたちを「みんな仲間だから仲良くしよう」などといって、無理やり表面的に仲良くさせるのは、子どもたちにとって非常に大きなストレスでしかないと思います。

 大人になれば、自分と全く違う人と仲間であるなんて思う人たちはいません。 基本的価値観が全然種類が違う人たちが、仲間であるはずはありません。
 先生たちだってそうですよね。
 気の合わない、考え方も全く合わない先生と一緒に何かを共同でさせられるのは少しも気が進まないことだと思います。 同じ職場にいたとしても全然仲間なんかじゃないんですから。

 自分たちにできない表面上の題目を子どもたちに強制するなんてとてもひどいですよね。 多少考えれば、本当はそんなことはありえないと知りながら、かつ自分がそれを実践していないにも関わらず、子どもたちに題目的な仲間作りをさせるなんてとんでもないことだと思います。

 子どもたちに、集団生活をする能力や、協調性を身につけさせようというのにはもちろん道理がありますが、それは、子どもたちがお互いに「仲間」だからではなく、 「考え方など全然相容れない人たちとは基本的に一緒にいなくていいが、どうしても一緒にいなくてはならない場面が時々あるので、そういうときには”仲間ではない”人とも適当にうまくやっていかなければなりません。 それを練習しましょう。」ということであるはずです、本当は。 子どもたちは小さいといえどもそれなりの理解力は持っているのだから、そのような説明を聞いたほうがそれをすんなり受け入れ、納得の上でそれを実践すると思います。 ある場合にはストレスになりかねないような、仲間意識の押し付けよりもそのほうがよっぽど健全だと思うのですが...。

 学校が教えるべきことは、間違った題目のもと、子どもたちのストレスを大きくすることではないはずです。
 学校のすべきことは、個々の子どもたちが、それぞれ本当に楽しくすごせる貴重な友人を見つけられるように手助けすることではないでしょうか。 例えば、違ったクラスでも同じ趣味の気が合う友達を見つけられるように選択性のクラブ活動などを通じてそういう機会を提供するといったことは子どもにとって、豊かな人間関係を築かせてあげることになるのではないかと思います。

 学校が、「みんな仲間」といった空想的概念を押し付ける場から、常識的な現実を踏まえた上で、子どもたちの人間関係を、本当の意味でより豊かにするきっかけを与えてくれる場になってくれれば、と思っています。



(完)

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