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いじめは人間の本能か?(後編)



これは後編です。必ず前編から読んでね!

 ここからは人間について考えていくことにします。

 自分は好きではないのですが、格闘技を好む人たちがけっこういます。 柔道や剣道やレスリングなどは、それでも普通のスポーツといった感じですが、プロレスをはじめとして、与えられる痛みが強烈な格闘技が少なからずあります。 その闘いの中で、血を流すことも少なくありません。 こういうのを好むのは少数の男の人たちだけかと思っていたら、かなりの層から支持があるようで、最近はそうした番組の視聴率も高いようです。 これらが純粋にスポーツとしての格闘技への興味、それらの鍛え抜かれた肉体に対する魅力などの結果であれば何ら問題はないでしょうが、どうもそれだけではないように思います。
 ずっと過去にさかのぼって、古代ローマ時代には、剣闘士たちがコロッセウムで戦ってそれが見世物になっていました。

 そして、2時間サスペンスドラマなどでは、よく殺人事件が扱われていますが、殺人とするとそれだけで視聴率が数%上がるという話も聞いたことがあります。
 これが何を意味するのかは考えるに値するでしょう。

 これらのことが、いじめが人間の本能であることを直接的に証明していることにはなりませんが、人間の残虐性はもはや否定できないように思います。


 さらにこれに加えて、子供特有の残虐性というものもあるでしょう。

 自然のほとんどなくなった大都市出身でなければ、少なからぬ男の人たちは子どもの頃、野原でつかまえたバッタの足を全てもぎとってしまったり、カエルに爆竹をつけて爆発させたりといった経験を持っていると思います。 自分の小学校の頃は、まだ自然の残る地方都市だったため、田んぼや用水路などで時折蛇を見かけることがあり、登校中に蛇を見つけた子供の中で、勇気ある(野蛮な)子供が蛇を手で捕らえ、得意げに地面に打ち付けて殺していました。
 大人はそんなふうに無意味に生物に危害を加えたりは普通はしませんが、子供はよくやっています。 単純におもしろいことだからなのでしょう。 恐らく、そこには、子供たちが純粋なゆえに残虐性をそのまま表出していることがあるのかもしれません。 まだ、残虐とされることは何かがよくわかっていないのだと思います。
 それから、小学生や幼い中学生は、まだ他人に十分に共感したり、他人の立場に立って物事を相対的に考えるということができない段階にあるようです。 (ならば人に共感できるように成長させればいいというのも一つの考え方でしょうが、発達の過程からいって、それを望むのは難しいのかもしれません。)

 そしてそこに、集団心理的な要素が加わります。
 残虐な行為も、集団の中で行われると、集団への同調圧力などから残虐性や罪の意識が忘れられ、つい勢いで加担してしまうということがあります。 こうした集団心理の存在を証明した心理学の実験も少なくないと思います (詳細は省きますが、同調に関しては、アメリカの心理学者ソロモン・アッシュの実験などが有名ですね。 特殊な環境の下では人格が容易に変わり、良心や正義感などが簡単に失われてしまうことについては、1971年にスタンフォード大学で行われた模擬刑務所の実験や、1960年代にイェール大学でミルグラムにより行われた電気ショックの実験、いわゆるアイヒマン実験(ミルグラム 1995)などがありますね。)。


 さて、こうして考えてくると、なんだか暗澹たる気持ちになってきます。 人間にある残虐性は強固なものであって、いじめの根絶は絶望的にも思えてくるかもしれません。

 実際、「いじめはしかたない」、「昔からあった」、「なくならない」、などといじめを許容する傾向のある人たちは、いじめは人間の本能だからと言ったりすることがあります。

 でも、ここが大切なところですが、自分は、”だから仕方がないという結論には絶対にしてはならない”と思います。

 人類は、弱肉強食の、いつ誰に殺されるかわからない恐怖におびえる社会は捨て、個々の人間を尊重する社会の実現を目指すという選択をしたはずです。 本能的に、いじめのような行動が起きやすいからこそ、必死になって、この深刻な問題には、全力を挙げて取り組む覚悟が必要ではないでしょうか。
 そして、「いじめはいじめられる方にも問題がある」などといったのんきなとらえかたをしている人というのは、全く事の本質わかっていないと思います。 いじめというのは子供の牧歌的なじゃれあいではなく、こうした残虐性の発露の場なのだという認識をもたなくてはいけないと思います。

 一方、子供、そして人間の本能として存在している残虐性を否定する考え方もあるかもしれません。 でも、そういった否定は、問題を解決することにはならないと思います。 子供たちは純粋だと思いたい、子供たちがそんな残虐な存在だとは思いたくないという気持ちはわかりますが、願望と現状認識は区別しないと対応を誤るような気がします。 人間の残虐性を認識した上で対処を考えるのと、そんなはずはない、子供たちは純粋だ、という前提で対処を考えるのとでは、全然解決策が異なってくると思います。

 こうした残虐性を、ふつうの多くの人は、表に出さずに生活することができているのだと思います。 みんながみんないじめをしているわけではないですから。 でも、本能的に欲求される残虐性が人によって、そして時によって表に出てしまい、それが周囲の別の子供に向けられたとき、それがいじめとなるのでしょう。 いじめが実際起きるか起きないかには、子供へのストレスの度合いなども大きく影響していると思います。 それも重要な問題であり、そのことに対する検討も必要でしょう。 でも、その根底には、この本能的な残虐性が潜んでいることに留意しておく必要があると思います。

 大切なのは、残虐性が本能に由来するがゆえにいじめは根絶が難しい深刻な問題なのであることを強く認識することだと思います。 そうすれば、いじめというのは、子供にまかせるのではなく、大人がかなり強力に介入してやめさせなければ、いじめられる子供たちの生命と安全を守ることのできない場合があるたいへん深刻な問題であるという結論に至るのではないかと思うのです。



(完)

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引用文献
  • 西田利貞, 2001: 「野生チンパンジーの若い雄によるオトナ雌のいじめ行動」. 『日本アフリカ学会第38回学術大会研究発表要旨』、 名古屋. p. 123.
  • ヘレン・E. フィッシャー, 1993: 「愛はなぜ終わるのか―結婚・不倫・離婚の自然史」. 吉田 利子 (訳), 草思社
  • スタンレー・ミルグラム, 1995: 「服従の心理―アイヒマン実験」. 岸田 秀 (訳), 河出書房新社

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